もうけた命(NMさんの場合)~がんになってよかった

 普通に何気なくしている人を見て「もしかするとこの人も自分と同じように苦しみを抱えているかもしれない」と思うことは、本当に他人への思いやりの気持ちの表れなのだろうか。

 NMさんは、それを自分が仲間を探しているためなのだと思う。今の自分が、今までの元気な自分と違って、いつも死を考える不安な状態になっているから、この気持ちを心底分かってもらえる相手を探しているのではないかと思うのである。

 だから、この気持ちを一番知っていなければならない近しい人たちの無神経さに、NMさんはいらだつ。

 NMさんは、再発した自分のがんの治療を続けながら、緩和ケア病棟での傾聴ボランティアを続けてきた。同じがんで苦しむ患者の声を聞いていると、その苦しみがよく分かる。

 傾聴は聞くことに徹することだが、うまくあいづちを入れることが大事だと思う。苦しみはひとに打ち明けるだけで楽になることが多い。当然、それをNMさんは自分の経験からよく知っている。だから、うまく間合いをとって、がん患者がその思いを口にできるように心がけている。自分にはそれがうまくできていると感じている。

 長い点滴治療を受けて帰ってきたときには、疲れきってしまい、家に着いた途端、そのまま横になってしまうことがある。たまに来る孫娘たちが、そういう自分の姿を見て、そのたびに優しくしてくれるようになったことが、NMさんにとっては最もうれしいことだ。

 自分のつらそうな様子を見ると、孫たちは必ず自分に手を差し伸べてくる。荷物を持っていれば、「おばあちゃん、持ってあげるよ」と声をかけてくる。自分ががんにならなければ、孫たちが人への思いやりの気持ちをここまで身に付けることはなかったろうと、NMさんは改めて思う。

 NMさんは、がんという病気を通して多くの体験ができたと思う。がんが再発してから時間が経ち、がんで死にたくはないと思う気持ちが強くなると同時に、がんになってよかったと思うことが多くなった。

  NMさんは、その後も抗がん剤の副作用と戦いながら、好きなことをして「もうけた命」を生きるため、自分の自由な時間を多くしたいと思って、入院せず通院で治療を続けた。

 そうしている間に、自分が先に死ぬわけにはいかないと思っていた母親が95歳で死んだ。胃がんだった。実家で一緒に暮らしていた兄が看取ってくれた。この母親の死は、「なんとしても生きなければ」というNMさんの気持ちを少なからず萎えさせた。

 NMさんは、引き受け手の少なくなった民生委員もずっと続けていた。その民生委員も含め、今までやってきたいろいろなことをそのまま続けたいと思うNMさんだが、息苦しさが我慢できなくなったため、仕方なく入院治療を受け入れた。

 まもなく、民生委員の月例会がある。どうしようかと考えていると、なんと同僚の民生委員たちが病院に車で迎えにきた。NMさんは、迷わず外出許可をもらって同僚の運転する車に乗った。

 先月まで普通に出席していた月例会だったが、その月例会の出席は予想以上に苦しいものとなった。椅子に座って同じ姿勢でいることがNMさんにとって最もつらかった。1時間ほどの定例会が終わる間もなく、NMさんは苦しさに耐えられなくなって、みんなへのあいさつもそこそこに帰りの車に乗り込んだ。

 NMさんのがんは、この時、肺を包む胸膜や心臓を包む心膜にまで広がっていた。そのため胸膜炎と心膜炎が起こって水が貯まり、それが肺と心臓を圧迫して呼吸困難を起こしていたのだ。

 すでに何度か、その水を抜き取り、貯まらないようにする治療が行われていた。したがって、それにもかかわらず増えてきたNMさんの「水」を消滅させる方法は残されていなかった。

 NMさんには、あらゆる抗がん剤が試されてきた。その時も、最も新しい抗がん剤を使い始めたところだった。もう、NMさんのがんに対しては打つすべがなくなっていたのである。

 この10日後、NMさんは、そのまま病院で最期を迎えることになった。亡くなる直前まで、同僚の民生委員たちの見舞いを、「私のところへ来るくらいなら、その間に困っている市民のところへ行け」と言わんばかりにそっけなくあしらいながら、一番行きたくないあの世に旅立って行ったのだった。

 NMさんは、再発が分かってから10年を生き抜いた。

※このブログが本になりました。「がんになって分かったこと~さまざまながんの素顔と元気な患者たち」という書名で、文芸社からの出版です。ネット販売もしています。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック