がんで死ぬわけにはいかない(UDさんの場合)~父親の看取り

 自分の家には、食事の用意と洗濯の時、そして夜寝るためだけに帰り、それ以外の時間を病院での父親の介護に当てた。父親は、呼吸が少し楽になると、家に帰りたいと言うようになった。しかし、UDさんは父親を兄の住む家で看取ることは考えなかった。兄ひとりで介護ができるはずはないし、そもそも仕事を持つ兄に負担をかけたくない。このまま病院で最後まで見てもらうのが安心だと思った。自分ができるだけ父親のそばにいてあげればいい。
 父親が家に帰りたいと言った時には、外出の許可がもらえる状態であれば、すぐに家に連れ帰った。父親も、それで十分満足だった。
 UDさんは、父親に言った。
「元気になれば、いつでもこの家に帰ってこられるよ」
「そうか。やっぱり、うちはいい。はやく元気になればいいなあ」
 父親は答えた。
 その後、UDさんの父親は、肺がんの進行とともに次第に食事がのどを通らなくなり、水も飲むことができなくなって、最初の入院から半年後、痛がることもなく病院で静かに息を引き取った。

 肺がんには二つの違うタイプのがんがあることは、NMさんのブログで書いた通りである。気管支にできるがんと肺にできるがんがある。それは、最期の迎え方にも影響する。肺にできる腺がんでは、進行すると転移が起こりやすい。したがって、肺の症状よりも、転移による症状が強く出ることになる。脳に転移が起これば、脳卒中と同じ症状、つまり、頭痛、吐き気、そしてマヒが起こる。骨に転移すれば、その場所の痛みが起こる。一方、気管支にできる扁平上皮がんでは、転移が起こる前に胸の中にがんが広がって、それが命取りになることがあることが多い。UDさんの父親のがんは、このタイプだった。だから、転移による症状で苦しむことはなかった。胸の中に広がったがんによって、肺の働きが落ちるとともに、食道が圧迫されて食事が通らなくなり、同時に心臓が圧迫されて命が尽きた。痛みもなかった。このように、がんは、同じがんでも症状がまったく違うことがある。肺がんでも、どこにできたかや種類によって、症状が違うのである。

 UDさんは満足だった。自分が看ることのできなかった母親の分まで、父親を介護した。何よりも自分が元気に生きていられて、父親の介護をすべてやり切ったことが満足だった。UDさんは父親を介護できることが楽しくてしようがなかったのだ。父親ががんで死んだことは、脳卒中で長く寝込むことになったよりも、はるかにいいことだと思えた。自分と父親の経験から、がんが必ずしも痛く苦しく恐ろしいものではないこと、何よりもがんがすぐに死につながることではないことをあらためて実感できた。

※このブログが本になりました。「がんになって分かったこと~さまざまながんの素顔と元気な患者たち」という書名で、文芸社からの出版です。ネット販売もしています。

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