サルビアの会7月家族会(その2)

 そして、またSZさんが続けます。

「妻には私が元気をもらってました。だから、妻が死んだあと、私は何度も自分も死のうと思いました」

「今思い返すと、そのときは完全にうつになっていました。今、親元に帰っていますが、それにつけても思い出します」

「妻は料理が上手かったんです。それに比べて母の料理はあまりおいしくありません。だから、なおさら思い返すんです」

「それに、親たちは私が帰ってきたことを、嫁から取り戻したかのように言うことがあります。それも気になります」

「だから、今はまた一人で暮らそうかなと思い始めているんです」

「何事もプラス思考だった妻は、15年間の闘病生活のうちで数回しか涙を見せませんでした。左脚がマヒしたときに涙を流しました」

「でも、障害者手帳をもらうとすぐに『この手帳があると、バスも電車もタダ。ディズニーランドでは待たないで入れるし、いいことがいっぱいだね』なんてはしゃいでました」

「そういう人だったんです。だから、私が妻から元気をもらっていたんです」

「でも、最期に妻と話をすることができませんでした。麻薬を点滴していて、もうろう状態でした」

「それで話ができなかったんです。最後に何と言おうとしてたんだろうなって、今でも思います」

 私が言いました。

「それは治療をする側にとっても大きな問題です

「痛みを我慢させて話ができるような状態にするのがいいのか、やはり意識がもうろうとしても痛みがない状態にす
るのがいいのかです」

 SZさんが言います。

「そうですね。主治医の先生とはいい関係ができていましたので、最期の時に先生は悩んでいたようです」

「でも、痛みをとるほうにしてくれたんです。妻を見ていると、痛みがあると本当につらい様子でしたから、それでよかったと思っています」

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