サルビアの会1月患者会(その4)

 その状態を見て、私は兄の長男に父親を家に帰す方法を考えるべきとアドバイスしました。

 少しでも元気なうちに家に帰してやるのがいいと言ったのです。

 在宅の主治医を探すように話しました。ところが、主治医が賛成してくれないということでした。

 でも、本人も家に帰ることを望んでいました。なので、何としてでも家に帰すべきと話しました。

 主治医は、とにかく一度外泊して様子を見ようと言ったとのことだったので、さっそく実行するよう促しました。

 場合によっては、そのまま退院してしまっても構わないと思えるほどに家の中を在宅生活のできる状態にして、外泊をしました。

 久しぶりに家にもどった兄は、こう言ったそうです。「これが団らんだな。団らんが一番だな」と。

 これは、1周忌の挨拶の中で長男が紹介してくれました。兄にとって、やはり家が一番だったのです。

 そのわずかな在宅生活をして病院に戻った兄は、その2日後に亡くなりました。

 まったく食べられなくなってから、1か月でした。

 主治医に遠慮して、私は直接主治医に意見を言うことをためらっていました。

 しかし、私が在宅医を探して欲しいともっと早くから強く言ってやればよかったと悔やみました。

 でも、1日でも家に帰ることができたので、それでよかったと思うことにしました。

 そして今では、兄を襲った腸閉塞はオプジーボの副作用だったことも分かりました。

 また、膵臓がんにオプジーボはまったく効果がありませんでした。

 しかし、兄は自分で思うことはすべてやり遂げてきました。

 最後にオプジーボを使ってみようという気になったのも兄の意志でした。

 結局、それが命取りになったわけですが、それが本望だったので仕方ないと思っています。

 でも、最期まで家にいることができなかったのは少し心残りでした。

 患者会の日が兄の1周忌に重なったため、今回は兄のがんについて書きました。以上で終わります。

この記事へのコメント

わすれ草
2019年01月31日 20:00
赤荻先生、お兄さまのことお書きくださってありがとうございます。

ご自身が医師であることからの遠慮など、私には解らない葛藤がおありだったのですね。
先生ですら後悔を持ってお兄さまを思い出すのだと知り、言葉は適切じゃないけれど、ほっとしました。
私が夫を看取ったことの後悔は仕方のないこと、素人が初めての経験だったのだからと思えば少しは救いになるかしらと考えました。

2月16日に築地の希少がんセンターのフォーラムで、中皮腫患者の遺族として、夫の2年間を語ることになっています。辛い思い出ですが、順を追ってなんとか文章にしました。少しずつ歩いています。
赤荻
2019年02月03日 18:36
わすれ草さん、コメントありがとうございます。
「医者のくせにお前には何もできないのか?」と言いたげな兄の目を思い出します。

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